『焚き火オペラの夜だった』

目黒それでは『焚き火オペラの夜だった』。週刊文春に連載していた赤マントの12冊目です。2001年1月に文藝春秋から本になって、2004年1月に文春文庫。まず最初に気になったところから言います。

椎名何?

目黒この赤マントが連載10周年だという話が途中に出てくるんだ。そこで椎名は「返せ!十年。返せ!青春!」と書いている。こういうときに使う常套句だよね。これがいま読むと痛々しい。たぶん2001年の段階でも痛々しかったと思う。たとえばね、JRの切符の買い方がわからなくて困るという話がその先に出てくるんだけど、そこで6つの選択肢を並べるんだ。①目立たないようにして若者のやっているのを見て学習する②親切そうなヒトを捜してやりかたを聞く③駅員に相談する④切符を購入せず「わあー」と叫びながら改札を通過する⑤凄く悔しいのでワンカップ大関を買って飲みそこらを「ばかやろう」などと叫びながらうろつく⑥諦めて家に帰る──という6つ。これも椎名がこれまで何度も書いてきたことで、ある種のパターン展開といっていいんだけど、こちらはいまでもまだ面白い。

椎名その違いは何なんだ?

目黒いやおれもわからない(笑)。

椎名なんだよ。

目黒いや実は最近、ちょっと反省している。

椎名何?

目黒このインタビューでさんざん批判してきたのに今さらこういうことを言うのも何なんだけど、椎名の初期の「昭和軽薄体」ね、あれはあれで正しかったんじゃないかって気がしているんだ。

椎名そうかなあ。

目黒たしかにいまでは風化してしまったけど、当時はものすごく新鮮だったわけで、そちらの側面も見なければいけないと思う。

椎名何を言いたいんだ?

目黒つまりね、その時代における常套句、あるいはパターン化した言い方は避けたほうがいいってことなんだ。たとえ10年後に風化したって、その時代の読者に届く文章を書くべきじゃないかって気がしてるのさ。

椎名よくわからん。

目黒だから「返せ!十年。返せ!青春!」っていう常套的な言い方をするのはもうやめなさいってことだよ。

椎名ふーん。

目黒ということを最初に言っておきたかったんですが、あとはこれを読んで思い出したことを一つ。1999年に神奈川の玄倉(くろくら)川の中州でキャンプしていた人々の事故の話が出てくるんですが。

椎名川が増水して、中州でキャンプしていた数家族が流されてしまった事故だ。

目黒たまたまテレビのニュースでその映像を見たんだ。みんなが川の真ん中で立っている映像。川の水がどんどん膝、腰、胸と上がっていくのは衝撃的だった。

椎名テレビで映像が流れたのか?

目黒いまでも覚えているのは、全員が呆然と立ち尽くす姿。

椎名オートキャンプ・ブームだったころで、安易にでかけていた時代だったな。

目黒あとは細かなことになるんですが、久しぶりにFMスタジオに行ったら、マイクがなかったと。全方位性の高性能マイクがテーブル面に埋め込まれているから、目に見えるマイクがないと。すごいね、そういう時代なんだ。

椎名でもマイクがないとやっぱり喋りにくいんだよ。どこに向かって喋ったらいいのかわからないだろ。だから、またマイクが復活したとその後に聞いたな。

目黒あとは、椎名の座右の書が、エドワール・ホール『かくれた次元』(みすず書房)という本だという話が出てくるんだけど、おれ、初めて聞いた、それ。

椎名そのことは何度も書いてるよ。

目黒嘘。知らなかった。ライアル・ワトソン『スーパーネイチャー』はこれと通底するものがあるって言うんだから読みたいなあ。どういう本?

椎名動物行動学の本だ。たとえば野性の馬は7〜8mまでは接近できるけれど、それ以上近づくと逃げてしまうとか、ヤモリは70センチまでは接近できるとか。では人間はどうなのかというと、心地のいい距離が民族によって異なっていて、日本人にはコタツに入って向かい合う距離がいちばん心地がよくても、アラブ人は50センチ以上離れていると敵対していると思われるとかね。そういう行動学の本だ。

目黒面白そうだなあ。

椎名名著だぜ。翻訳されたのも30年以上前だろ。

目黒すぐに読みます。

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